大銀醸 「星の寒梅」 〜GALAXY EXPRESS 999〜
酔いどれ徒然紀行
 
 
 

銀河鉄道999その魅力
★はじめに
 
  ここは「銀河鉄道999」の魅力について語るコーナーです。
  あちゃみなりの視点から書いていますので、一般の解釈からは外れているトコ
  もあるかとは思いますが・・・(^^)。
  思いついたことをつらつらと書きとめていきます。(随時更新)

★限りある時間の中で…(2000/09/14)
 

   「銀河鉄道999」の列車の停車時間は、「その星の1日」である。
   基本的に、鉄郎と出会う人々は登場する時間がわずか「1日」なのです。
   その一日の中で、鉄郎はとても1日とは思えないほどの濃密な時を過ごす
   のです。

   確かに、時間をかければ、人と人との心のつながりは生まれるだろう。
   しかし、たった1日で、人は心が通い合うものだろうか?

   その答は、「999」の中にある。停車時間が区切られているからこそ、鉄郎は
   必死に頑張るし、真剣に考える。
   最後のテーマ「限りある命だからこそ、人は懸命に生きる」
   ということにつながっている気がする。大事なことは、時間ではなく、いかに
   真摯な気持ちで人と接することができるか?ということにあるのではないだ
   ろうか。

   テレビの999の最終話で、鉄郎はメーテルと「突然」の別れを迎える。
   その時の鉄郎は、「驚愕」するものの、「悲観」はしていない。
   きっと、それまで精一杯真摯な態度でメーテルと接してきていたからだろう。
   そりゃ、悲しいさ。でも、後悔することはなにもない。
   鉄郎の笑顔には、そんな大人の表情がうかがえた。

   映画の鉄郎とはまた違った深い感動をそこに感じる。
   映画を「完全燃焼」に例えるならば、テレビの最終話は「うもれ火」のように
   僕の心の中でゆっくりと感動をはぐくんだ。
   感動というものが、「その瞬間においてのみ生じるわけではない」ことを知る
   ことになった作品だ。

   (了)


★3DCGガラスのクレア(2000/09/11)
 

   3DCG「ガラスのクレア」は、もう御覧になったでしょうか?

   この映画だけは、ぜひ見ていただきたいと思います。
   最初の劇場版映画「銀河鉄道999」に勝るとも劣らない素晴らしい作品です。
   上映時間はわずか15分足らずですが、内容は、999のエッセンスを抽出した
   これ以上ないといった作品です
   15分間で人はどれだけ感動できるか?というチャレンジをしたとしたら、この
   作品を見た人は間違いなく世界で5本の指に入ることができます。絶対に!
   僕は東京の花やしきで、この映画を見ましたが、見ていて1回、帰って2回
   泣きました(;_;)

   「見ないと損」とかいうレベルをはるかに超えています。
   この作品を見ている間、僕は確かに、999の世界の中にいました。
   それは、僕だけじゃなくて、一緒にこの映画を見ていた子供たちも、最初、
   大騒ぎしていたのに、映画が始まったら次第に画面に食い入るような目つき
   になって、最後は涙目になって、でも、しっかりした足取りで会場を後にしてい
   た…。数百万の理屈よりも、目の前のひとつの感動が人間を成長させるので
   しょう。

   今、この時代に、「999」を見ることができるのはとてつもなく幸せなことです。
   もし、この時代に生きて、この時代を感じることができる人は、この映画を見
   て欲しい…。同時代に、これだけの作品を作る人がいる、そして、これだけの
   感動ができる人がいる、と実感できる、そういう機会って、そうそうは無いもの
   です。
   同時代に素敵な映画を見て、同時代に素敵な感動を共有する。こんな素晴ら
   しいことって、滅多にないことです。
   もし、この時代に生きていて、まだ3DCG「ガラスのクレア」を見ていらっしゃら
   ないかたがいたら、ぜひ、かなりの無理をしてでも御覧になられることを強く
   お勧めします。
   100人中120人が心を動かされます。断言できます。

   今「ガラスのクレア」は全国の3Dシアターで現在上映中です。
   常設会場の情報を載せておきます。
   
浅草花やしき・東京都
   横浜、八景島シーパラダイス・神奈川県
   富士急ハイランド・山梨県
   大阪フェスティバルゲート・大阪府
   宮崎シーガイヤ・宮崎県

   もし、少しでも999を知っていて、この世の中の幸せと、希望と、せつなさを
   感じることができるかたは、ぜひぜひ、この作品を見ていただきたいと思い
   ます。
   夢の世界への入り口を見つけることができるはずです。保証します!

   (了)


★Mのひとたち(2000/08/29)
 

   メーテルって名前は、外国語の「母親」が語源だそうです。
   英語ならmother(マザー)、ドイツ語ならmutter(ムッターorムテール)
   だからきっと、あたたかくて、きびしくて、でも最後の最後にはやさしさが感じら
   れる存在なんだと思います。
   で、いろいろ考えてみたんですけど、この言葉の響きで重要なのは、発音でい
   うところの
頭文字「M」なんじゃないかと考えています。

   Mではじまる、やわらかい名前が、重要なのではないでしょうか?
   そう考えて、他の(999以外の)作品を見てみると、いますいます。
    ・キャプテンハーロック・・・ミーメ(
Mi-me)
    ・宇宙戦艦ヤマト・・・森雪(
Mori yuki)
    ・1000年女王・・・ミライ(
Mirai)
    ・漂流幹線000・・・メイビス(
Meibisu)
    ・我が青春のアルカディア・・・マーヤ(
Ma-ya)
   いずれも、その作品の中で重要な役割を担う素敵なひとたちです。

   では、999に話を戻すとどうでしょうか?もちろん、大切なひとがいます。
    ・さよなら銀河鉄道999・・・ミャウダー(
Myauda-)
   あと、個人的には、
    ・フライヤさんの星・・・真理子の螢(
Mariko no hotaru)
   というのも入れておきたい。

   ここぞ、というときには頭文字「
M」が使われているのではないでしょうか?
   そういえば、松本零士(
Matumoto Leiji)さん(作者)も「Mのひと」でしたね(^^)
   ここらへんにヒントがあるのかな?

   (了)


★銀河鉄道という言葉の響き(2000/08/28)
 
   銀河鉄道と言えば、999を別にすれば、やはり
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」
   でしょう。

   銀河鉄道は、生まれたときから幻想の中を走る列車でした。
   ジョバンニは、冥界へ向かう親友カンパネルラとともに銀河鉄道で旅をします。
   なにも知らないジョバンニは、銀河鉄道で人の一生を越えた時空の中を通り
   抜けます。無数の星に包まれて、自分の行く末を思うとき、やはりそこには
   あがらうことのできない宇宙の流れというものを感じざるを得ません。
   
   たった50億年前には太陽すらなかったというのに、宇宙に浮かぶ塵が集まって
   火の玉ができて、そのまわりに漂うもっと細かい塵が固まって、地球ができた。
   でもそれだけでなく、その地上に、生命が誕生して、ついには、我々のように、
   ものを想う存在が発生した。
   偶然と言うには、あまりに確率の低い出来事が、しかし、今こうして目の前に
   展開されている。きっと、もう一度同じように宇宙に塵をばらまいたとしても、
   おそらく僕たちは生まれないだろう。
   ほんのわずかのバランスの上に、奇跡のように生まれた存在が、我々だ。
   
   だから、どんなにつらく悲しいことがあっても、僕たちは、この命を捨ててはいけ
   ない。ここで、こうして考えて、こうして気持ちを通じ合っているというのは、言葉
   では表現できないくらい、特別素敵なできごとなのだ、と思う。

   ごく、あたりまえのことが、本当は、とても大切で、素敵なことなのです。
   そのことに、気づいているかいないかで、人の一生は大きくその価値を変えてし
   まう。夜空に広がる星々は、お互いとても近くにあるように見えて、実は何光年
   も離れている。それに比べて僕たちは、ごく近いところで、こうして心を通じ合っ
   ている。一瞬でも一度通じ合った心は永遠だ。なぜなら、通じ合った事実は、
   たとえ時が経とうとも、誰にも否定することはできないからだ。
   たとえ、この身が滅びようとも…

   宇宙の時の流れに比べて、僕たちの一生は一瞬です。
   だから、おそれずに、いろんな人たちと心を通じ合いたい。
   しかしまた、わずかな時間だからこそ、大切なひとと少しでも多くの時間を共有
   したい。
   何が自分にとって、大切なのか。そのことに、気づくことが大切です。
   
   ジョバンニは、カンパネルラに言います。
   「どこまでも、いっしょに行くよ…」
   でも、2人に残された時間はあまりにも短い。
   大切なものに気づいたとき、ひとは、本当の自分に出会うことができます。
   そこに、生きていくことの意味を見つけだすヒントがあるような気がします。

   (了)


★え?汽車が宇宙(そら)を飛ぶの?(2000/08/16)
 
   銀河鉄道999は、文字どおり鉄道です。形だってSLそのものです。
   999号が地球を旅立つときに、鉄郎は言います。
   
「たいへんだ、線路がない!!」
   鉄の道である線路がない、というのは、もはや「鉄道」ではないのでは・・・
   などというツッコミを無視して銀河鉄道は宇宙へと旅立っていきます。
   でも、それでいいのです。
   線路がない、と考えるのではなく、銀河鉄道は線路から解放された、と考える
   べきなのでしょう。(ホントは線路があるのでしょうけれど、目に見えないという
   トコロが大事)

   銀河鉄道はどこにでも行ける、夢の列車なのです。しかも、その列車はごく
   普通の駅のプラットホームから発車します。普段毎日我々が使っている駅と
   ほとんど変わらない、ホームから大宇宙へと旅立っていくその姿は、とても
   不思議な共感をさそいます。
  
 そう、銀河鉄道は、地球と大アンドロメダをつなぐだけでなく、日常と幻想の
   架け橋でもあるのです。


   なぜ幼い頃、誰もが列車の窓にかじりついて外の風景を見ていたのでしょう?
   僕が思うに、そこには普段見ることのできない風景があったからではないか
   と考えています。いつもの町並み、いつもの道、川や森がまったく違った視点
   から次々と目に飛び込んでくることに、純粋に喜び、驚き、楽しんでいたので
   しょう。
   そして、その光景が通り過ぎてしまうと、今度は、まったく見たことのない風景
   が待っています。子供の頃の僕にとっては、まさに日常から幻想へ飛び込んだ
   ような錯覚におちいる出来事でした。

   あとは、鉄橋。なんで、あんなに鉄橋が好きだったんだろう?
   轟音に包まれながら、おそるおそる窓から外を眺めると、はるか眼下に川の
   水面が見える。普段、絶対に見ることのできないトコロから、僕はこの場所を
   見ている。その時、僕はきっと、心の中で空を飛んでいたのでしょう。だから
   あんなに、わくわくできたんだと思う・・・

   銀河鉄道999を見たとき、そんな、わくわくした気持ちが、ふとよみがえって
   きたのをよく覚えています。
   夢や幻想に向かって旅立つ乗り物としては、ごくありふれた列車というものが
   実はとても大切なんだと思います。
   夜、我々が眠りにつき、夢の世界にいざなわれるときも、僕たちをやさしく
   包んでくれるのは、やはり、ごくありふれたベッドや毛布であるように、日常
   の中の心落ち着くアイテムというものこそが、
幻想へとつながる秘密の扉
   なっているのではないでしょうか?

   (了)


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