「きみがため」
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長野県のある街で、夏の終わりを感じてきました。
夏とは思えない冷たい雨の中
ひとあし先に秋の空間を垣間見てきたので、その話を少し…
雨
雨
雨
雨だれの音
空には薄く翳った雲がたなびいている。
まだ、雨はつづくのだろう
羽織った上着の胸元をかき寄せても
まだ寒い
縁側に座って、庭を見つめる
そこに一羽の蛾が、庭の土に舞い落ちてきた
ぱたたたた
と、羽ばたく
けれども、羽は湿って飛び立てない
その身体を
容赦なく雨だれは打つ
ぱたたたた
ようやく、縁側の軒先まで来て
もう、雨には打たれないところまでたどり着いた。
なぜか、ほっとする
ふいに、時間の流れを感じる
この小さなものの命を感じる
僕らからみたら、この小さなものの命は刹那だ。
その刹那を見つめている
僕の命を感じる
宇宙の流れからみたら、僕の命は刹那だ。
その刹那が見つめられている
よくよく目を凝らせば
縁側に、誘蛾灯に、庭の古木に
数多の虫達や、鳥達が、羽を休めている。
ああ、なんて多くの命と同じ時を生きているのだろう
ひとつひとつの命が
ひとつひとつの灯りとなって
僕を包み込んでいる。
雨だれの音と
無数の灯り
ひっそりと、同じ時を刻んでいる。
たとえ、それぞれの命が刹那だとしても
共に過ごした時の存在は、永遠だ
宇宙が明日終わったとしても
共に生きたこの時を、誰も消すことはできない。
なにもかもが、いとおしい
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とか、長文を書くまでもなく
はるか昔の世界において
そういった気持ちが
したためられていたので、それがまた嬉しくて…
百人一首の50番目
藤原義孝が詠んだ
『きみがため をしからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな』
昔から、気になっていた句なのですが
なんとなく、わかった気がします
明日消えてしまっても良いかな、って思ってしまうような この命だけれど
いとおしいものに出合って、もう少し生きてみようか…なんて
感じてみたりするのです。
生きている意味なんて、誰にもわからない
けれど、生きる意味など気にとめない存在が 懸命に生きている。
ぱたたたた
と羽ばたいている。
僕はサンダルを履いて
生きようとする小さなものを
両の手で包み込んで
雨をしのげる板の間に そっとおろしてみたりする
雨はまだ続くだろう。
しかし、いずれ雨は上がる
それが束の間の晴れ間だとしても
降り注ぐ陽の光は やっぱり本物で暖かい
その暖かさを、共に喜び合えるものが
身近にいたら
きっと、それは
とても、とても、幸せなことなのだと思うのです。
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